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教会で、
ジェンダーやセクシャリティのことで困った事、
嫌だなと思うこと
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(セクシャルマイノリティが)罪だと裁かれること。
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性に関する事を話してはいけない、また性的マイノリティに対する無言の差別を感じたことが辛かった。
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排除、嫌悪する雰囲気。
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同性愛についての理解がない。
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トランス(トランスジェンダー)はいない前提がある。
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トランスジェンダーなのでたびたび差別的な視線で観られる。(シス男性/女性の)どちらでもないから存在意義が分からなくなる。
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今の教会は差別的な振る舞いは全くありませんが、出身教会ではあります。少子化だから最低でも子供は3人作らないといけない男としての義務だ(と言われた)。 私は性分化疾患(DSDsのトランスジェンダー)で男性不妊症です。精子がないのは男性として失格であり、クリスチャンを辞めるべきだと結婚前に言われました。
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聖書の価値観とセクシュアルマイノリティがどのように相いれるのか、わからないことや自信のなさゆえに、教会の人たちとその話題について怖くて話せない。
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戸籍の性で属する信徒会に振り分けられていた(今は解消)。 牧師ではなく信徒から、LGBTq(トランス女性・トランス男性は特に) などは腐った林檎の群れだと罵られた。
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LGBTqについて語ると今は大方の人がある程度理解?というか憐みの目でみられるのが苦痛。
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トランス女性ということでジェンダー論に話が及ぶと信徒は閉口。
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代母が(セクシャリティを)認めてくれない、教会が自分の存在を認めないと感じる。
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全く悪意は感じないが、将来家庭を持つ前提で話しかけられることがある。
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性自認は男性だが、戸籍・生物学上の性にしたがい「〇〇姉妹」「彼女」と呼ばれる。週報ボックスの並びや総会出席の名簿などで女子の方に入れられる。
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「性別がない」と説明しても「そんなことはあり得ない!」「お前は偽物だ!」「私は本物の性的少数者の有名人と知り合いなんだ!」と恫喝され、「神と出会っていないからそんなデタラメなことになるんだ!」とトンチンカンなことを言われたことがあります(注:神とは出会っています)。
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20代半ばを過ぎると、「結婚しないの⁇」と聞かれ、お見合いを持ってこられる。私自身がパンセクシャルで最近は同性と付き合うことの方が多いし、また教会員に他にもカミングアウトしていない同性愛者の方がいるが、当然のように「結婚するべき異性愛者」として扱われる。高齢者が多いこともあり、LGBTQを受け入れるかの問題にいては、そもそもその問題が身近に存在するという発想がない。
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旧約聖書の同性との行為についての記述が出てくるときには、牧師なりの異性愛中心的な解釈を聞かされるのが嫌でした。また、結婚というテーマを掲げられ、居場所がなかったこと。
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Xジェンダーなので「婦人」という属性ではない。 結婚がー、子どもがーと言われても、周りの他人が祝福されるのも、Aセク(アセクシャル)なので辛い。私は祝福されない存在なのだと思わざるを得ません。
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母教会がセクマイ(セクシャルマイノリティ)否定しているため、教会を離れることになった。
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司祭は理解してくださるが、年配の方はいまだに「兄弟」「姉妹」。自分のほかにLGBTの当事者はいるが、私の場合、肉体的には異性のパートナーと通っているせいか、性同一性障害を持っているとカミングアウトしてもなかったように扱われる。
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同性愛の友人が、所属教会で同性愛をハッキリ否定され、『天国でも自分の居場所はない』と教会から離れた。
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たまに行く教会で「彼はいないの?」などと言われる。
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結婚しないのですか?彼女はいないのですか?などの異性愛を前提とした質問。
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結婚ありき、異性愛ありきという前提がしんどい。
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結婚しないでいると、「変わり者」と言われる。
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勤務している学校の保健の授業で、「思春期になると異性に関心を持つ」ということが当然のように教えられていることが不快。
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洗礼などで男性には代父、女性には代母と決まっているのが謎です。性別が不確定な人はカトリックに入れない?
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LGBTQに関する話題が憚られる場合がまだあること。
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LGBTQについて全く考えようとしていない。
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同性婚の問題など、考えなければならないことがあるはずなのに、話題にさえならない点。
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LGBTQなどの言葉では括れない多様性が有るのに、ジェンダーやセクシャリティの偏った知識を押し付けてくる事。
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性自認は男性だが、戸籍・生物学上の性にしたがい「〇〇姉妹」「彼女」と呼ばれる。週報ボックスの並びや総会出席の名簿などで女子の方に入れられる。
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小学生の頃、教会学校の合宿で同性の子たちと一緒にお風呂に入ったり、着替えたりすることが嫌でした。初聖体の時に、女の子だけひらひらの衣装を着せられたのも嫌でした。 また、大人になってからは、シス女性だと思われて調理係や子供の世話に回されたり、マリア会(婦人会)に勧誘されたり、結婚しないの?と聞かれることが嫌です。
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LGBT当事者の友人が司祭にカミングアウトしたら、司祭本人は理解を示し、受け入れるとしつつも、教会の信徒たちには言わない方がいいと言ったこと。
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カトリック教会で、宗教的な理由で、同性愛を心から蔑んでいる人に時々あいます。
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修道院の宿泊施設で、MtFの方を女性の部屋に泊まってもらった時にトラブルがありました。同じ部屋に泊まった一般の女性たちから、「心は女性なんだと理解できても、見た目が男性なので、同じ部屋で着替えるのは居心地が悪い」と苦情がきました。突然のことに対応できるだけのスタッフの力量がなく、同じ部屋に泊まる一般の人にもそこまでの理解は無いという現状をその時目の当たりしました。(この施設では事前に問い合わせがあった場合では個室対応する策が取られている。もっと社会の理解が深まればと思います。)
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主日礼拝に100人前後集まる、割りと規模の大きな教会ですが、ジェンダー関連の話は1度も耳にしたことが無く、そんなことこの世に存在しないかのような空気です。
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牧師さんの上に名誉牧師さんがいるのですが、男性は男性らしく、女性は女性らしく、という考えのようで、LGBTQ など眼中に無いような感じです。
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トランスジェンダーの求道者が来たとき、「同性愛についてどう思うか?」という質問を受けた。神様はどんなこともお赦しになるから私はそれはそれとして受け入れると答えました。でも、他のカテキスタは、神様は、男と女を創造されたのだから、それ以外は認めないと言って、その求道者は二度と教会には来ませんでした。私はどうするべきだったのか、未だに心残りでたまりません。
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私の自己理解は男性です。化粧水を使うことがあると言った際、それ自体は別に当然、という反応でしたが、その流れで「口紅をするようになったら困る」という話に発展してしまいました。少なくとも私はそこで「それは言う必要のないことである」と言っておかなければならないところでしたが、とっさの出来事に思考がストップしてしまい、何もできずに流してしまいました。
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教団に出す報告書などに男女別に人数を記載しなければならないこと。
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礼拝出席者数が、男女別に記されていること。
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性別に基づくグループ(例: 婦人会)に強制的に入れられる。
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結婚後、当然のように「壮年会」「婦人会」に所属させられる。
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田舎ゆえ、子どもの頃から「女だから」「女なのに」を押し付けられ嫌な思いをし、また、職業柄LGBTの方に接する機会もあり、男女で分けることの意味のなさを痛感している。しかし教会には「婦人会(会費も支払っていない)」があり、地元のキリスト教主義学校もOGの圧力で頑なに女子校のまま。 教会の名簿は男女別。
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ジェンダーやセクシャリティのテーマそのものに嫌悪感を示す人が未だにいる。
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そもそもジェンダーやセクシャリティのことを考える機会がないこと。キリスト者としてどう捉えるべきか学ぶ機会がない。
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すべからくカトリックはこの問題にダメですね。言い出したらキリがありませんが、男子叙階制度は世界のジェンダー正義最大の害悪だと思います。
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It would be nice to see women in more leadership positions in the church.
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「男なんだから〇〇」と言われる。
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妻を名前で呼んでもらえないこと(奥さんとか)。
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結婚したら牧師が〇〇婦人と呼び始めた。
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牧師家庭。姉がいるが、跡継ぎの話しなどになると男の自分が前提として言われる事がある。
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守ってあげたいと言われる。
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聖書の女性蔑視表現は基本黙認容認、批判なしなところ。フェミニズム視点が皆無。
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教会では、女性の方が奉仕できる内容が制限されているように感じます。
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(女性は)神父になれない。
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女だからチャレンジできない事が教義により制限されている。
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説教の中で女性が子どもを産んで育てることが当然のような話し方をする。
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子供の世話はお母さんがやる、という不文律は多いと思います。
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女は婦人会、でも男が入って総会に出て議決権もある。青年会にははいれない。
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一教会員から 自分のジェンダーのことをこちらの感情無視して根掘り葉掘り訊かれた。 まだ憶測の域を出ていないにも関わらず、→役員→牧師に言いふらされ、断罪に近いことをされた。 結局、その教会には行けなくなった。
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「女なんだから、化粧薄くしたほうがかわいいよ」「女の癖にそーいうこと言うんだね」と言われたこと。同じ人としてならまだしも女性だからという理由でアイデンティティを否定されてるように感じました。
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女性牧師のため、歳上男性ビジターよりマンスプレイニングに合うことがある。
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シスターを下にみる人がいる。
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礼拝の中で牧師が未婚女性の結婚のために祈ったこと。
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結婚しろ圧力。
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結婚を前提とした結婚観。
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「結婚しないのか」と聞かれることが嫌です。
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独身だと言うと色々詮索される。
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結婚相手を紹介されそうになったことがある。
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教会で結婚式があると、「次は◯◯ちゃんの番かしら?」などと言われた。
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教会に新しく若い女性が来たらすぐに「あの子は(恋人に/結婚相手に)どう?」と聞かれる。
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夫婦別姓や事実婚のような形での将来を考えているが、"結婚"という形を取ることに拘っているところ。
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クリスチャンの「付き合う=結婚」という認識の強さに困らされた。 教会で結婚式があると「次はあなたの番だね」「相手がいないなんて」と言われることもあります。
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教会あるあるですが、若いときは男女関わらず「結婚はまだなの?」と聞かれ、結婚したら結婚したで、女性側は「子どもはまだなの?」と聞かれ、出産したらしたで、1人目が女の子ならば2人目は男の子を求められることが多い気がします。
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独身時代は「結婚しないの?」としばしば聞かれた。既婚後は「子どもはまだ?作り方知らないの?」と聞かれた。
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女性だから、結婚したら「次は子どもですね」と言われる。
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「夫婦は仲良く」といった、既婚・子供ありが前提で話をされる。
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教区で性暴力問題があった。
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結婚前、青年会がらみのセクハラが多すぎた。特に聖職者の息子が立場を利用してはかわいい子に声をかけたり、タイプじゃない子をいじめたりするとか、教会に苦情をいうとモテないからひがんでいるんだろいといわれたり、結局教会の青年会って合コンがメインでまじめな聖書の話なんかできなかった。別の教派に改宗して、ああ、あれはセクハラだったんだと気づいた。
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口禱文や式文の中に、「胎・子宮」「乳房」など女性の性器が出てきてキモい。男性のは出てこない。また、男性聖職者から「女には飽きる」など侮辱され、セクハラを訴えても「キリスト教は赦しの宗教なのにゆるせないの?」といわれたり、女性は教会の中で消費される立場にある。女性信徒の活動権限などにも暗黙の制限がある。
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ふくよかな体型をしているのですが、よく教会の年配の信徒から、痩せろとか体型についていちいち指摘を受ける。中には太ったカトリック教徒なんかイエス様やマリア様は救わないなどと節操のない事を言う女性の信徒もいる。 また人のプライベートを詮索したり、側耳を立てて、他の信徒と話のネタにされることがある。
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カトリック教会における司祭職の独身制、女性排除はいま一度考え直すべき問題です。そして、性的虐待を隠蔽する組織体質も。友人が子供の頃に神父から性的虐待を受けていたことを公にした時は本当にショックでした。彼の告発に対してカトリック教会は沈黙したままです。世界中であれだけ問題になったのに、未だに問題に向き合えないのかと呆れ果てています。
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「困った、嫌だ」ではないが、「男性は台所に立たない」「男女は(夫婦でも)分かれて座る」「昼食の片付けは女性」という習慣があって驚いた。また、その習慣は、所属教会では打破したが、同教派の他教会ではいまだに見られること。
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雑用を女性ばかりが行なっていること。そしてそれを手伝う男性が非常に少ないこと。
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礼拝のお花をいける人たちのグループ名が「フラワーレディ」。
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お茶の用意を女性がしている。
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茶話会後の片付けに男子が誰も手伝わないのが不可思議に感じる。
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お茶や食事の準備は女性が行う。
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女性なので、料理の手伝いをすることが当然のように思われている。
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女性だからといってパーティではご飯を作る方にまわされる。
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不得手なオルター(礼拝の準備。献花の準備、聖餐の杯の熱湯消毒、聖布の洗濯)をやるように仕向けられる。
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食堂は婦人会のメンバーで回すのが慣習化されている。また、礼拝で使用した盃や金属製は盆などを磨き粉で磨く作業や聖職者の衣類の虫干しなども婦人会が担当している。
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家事炊事など「おもてなし」に関わることは、当然のように女性の職務分担になっている。
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教会では、愛餐会の準備などで、どうしても男性が談笑し、女性が食事の準備をするという役割分担に落ち着いてしまう。
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男性の会のお茶くみ等を女性が行う (女性自身もキッチンに男性を入れたがらない)。
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イースターやクリスマスのランチョンの準備はいつも女性であることについて、役員会で発言しました!一度男性でと提案したところ引き受けてくれました。後にも先にも一度きりでした。
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30代の時だが、地方に引っ越して新しく所属した教会で私が既婚女性である事を知った幹部の人が私の仕事の有無を確認する事もなく主婦とみなして平日の掃除当番表に私の名を勝手に記入した。
逆にこんな声も、、、
※本アンケート回答より、一部掲載
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プロテスタントの人に、カトリック教会で女性司祭が認められないのは、女性蔑視だと誤解されていること。私は家庭や性について、キリスト教の伝統に基づいた意見を持っているのですが、周りの人は、婚前交渉OK、同棲OKという人ばかりなので、自分の意見を言う場がありません。
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